函館本線上砂川支線 - 廃線跡Report

はじめに

【区 間】

 砂川 - 上砂川
【主な駅】
 砂川 下鶉 鶉 東鶉 上砂川
【沿 革】
 1919.11  石炭専用線(三井砂川炭鉱)として開通
 1926.08.01 旅客営業開始
 1994.05.16 全線廃止

 砂川と上砂川を結ぶ通称上砂川線は、函館本線の支線として開通した。1919年と比較的早く開通していたのは、上砂川の炭鉱から石炭を運び出すためだった。
 一帯の空知炭田は全国でも有数の優良炭の産地として各所で開発され、それに伴って上砂川線以外にも多くの鉄道が敷かれた。一足早くほぼ並行する歌志内線も建設されている。しかし、それがために石炭産業の斜陽化は町自体の衰退に直接影響し、人口は減少、旅客と貨物ともども輸送量は激減することになった。
 普通であれば他の路線同様、早い段階で廃止となるはずだったが、第一次、第二次廃止対象路線の選定は路線ごとに行われたため、本線である函館本線と輸送実績の数字が合算され、その時点での廃止は免れた。しかし収益の劇的な向上は見込めるはずもなく、結局は他の路線と同じ道を辿ることになってしまう。廃止はJR発足後の1994年のことだった。

現況

 道内の廃止路線としては深名線に次いで新しく、まだ10年も経っていない。そのせいか、区間が短かったわりにはその遺構をいくつもみることができる。
 駅舎としては上砂川駅が移設・保存され、ドラマ・映画の舞台となったことから記念館として利用されている。屋外にはホームが作られ、駅名表示板や車両も見ることができる。また喫茶店として使われている下鶉駅もほぼ当時のままだ。そのほか橋梁や跨線橋なども残っているが、線路跡が道路に変わるなど、年々痕跡は少なくなってきている。

解説

【砂川】(すながわ:アイヌ語「オタ・ウシ・ナイ」が砂原が多い川を意味していることから)
 かつては上砂川支線だけでなく、歌志内線も分岐する駅だったが、現在は函館本線の中間駅として現役。今でも残っている上砂川支線のホームは、駅本屋からかなり離れており、長い跨線橋で結ばれている。これは、当時、石炭列車のための側線が多数設けられていたためだ。また、当初は石炭専用線として作られたこともあり、後からできた上砂川支線がこれを横切るわけにはいかないためにこのような形になったとのこと。レールと枕木は、側線同様に撤去されてしまったが、木造の跨線橋はそのままになっている。

 砂川を出るとすぐに東へ向きを変え、市道と用水路の下をくぐっていたが、そのあたりの線路跡はとくに再利用されることもなく放置されているため、細長い空き地として跡は明確になっている。交差していた用水路の水道橋や跨線橋も現役で使われている。

 さらに先では、交差する道路などで部分的に分断されてはいるが、平行する市道の脇に続く築堤としてしばらく続いているので、容易にたどっていくことができる。しかし、下鶉手前からは痕跡がわかりづらくなっており、特に廃止後もしばらくは残っていたガーダー橋は、道道の改良工事の影響で撤去され、跡形もなくなってしまった。現在はちょうどそのすぐ傍らに曲線緩和のためか新しい道路橋が作られている。



【下鶉】(しもうずら:鶉の下手側にあることから)
 道路沿いにあった小さな駅舎は早い段階で撤去されてしまい、現在では駅のあったことなど全くわからなくなっている。ホームは道路よりも一段下がった場所にあり、駅舎を抜けたあとすぐに数段の階段を下りていたが、その階段もホームもすでにない。

 東鶉を過ぎると道路から少し離れていき、すぐ先でパンケウタシナイ川を渡っていた。そのガーダー橋は現在も残っており、道路からもその赤い橋桁を眺めることができる。レンガで作られている橋台は、その色合いからも十分歴史が感じられる。
 その後の路盤跡も低い築堤などとして残っているが、枕木等はもちろん、バラストも撤去されている。標識等も確認することができなかった。

【鶉】(うずら:この地の開拓者が出身地の名前をとって付けた鶉農場の名から)
 飲食店として駅舎が再利用されている。新たに壁に看板などがつけられてはいるが、それ以外、外観はほぼ当時の雰囲気をとどめている。駅の裏側も、屋根を支える柱などに駅らしさが残っている。以前は車両などが展示されていたという構内跡は、整地されてしまい線路跡や標識などの遺構はまったく見つけられない。ホームもすでに判別することができなくなっている。

 その先も道路に沿って通っていた上砂川支線の線路跡は比較的明確にたどっていくことができる。ただ、線路や枕木はもちろんだが、バラストも撤去された状態で、それと知らなければ、ここに列車が通っていたということはわからない。

【東鶉】(ひがしうずら:鶉の東側にあることから)
 開業したのが1959年と下鶉とともに比較的新しい駅で、しっかりとした駅舎 やホームがあったわけでもないことから、撤去されたあと、残っているものは何もない。道路に挟まれた空き地となっている。上砂川支線は廃止路線の中でもかなり遅くまで残っていた路線だが、撤去されたのは下鶉よりも早く、廃止されてから2〜3年内のことのようだ。

 その先の線路跡は住宅にはさまれた空き地として残っているが、それも道道までのわずかの区間。そこには歌志内へ抜ける道々との踏み切りがあったはずだが、その痕跡はない。しかもそこから上砂川に向けての線路跡は舗装道路となり、沿線も完全に整地・再開発されて、当時の面影はまったくない。郵便局やその他の施設がこの道路沿いに移されている。もともとの道路とは並行する状態のためか、往来する車は多くはない。

【上砂川】(かみすながわ:)
 三井砂川炭鉱の石炭積み出し駅として栄えたこの駅は、駅舎そのものは残っているが、当初の場所ではなく、わずかの距離を向きを変えて移されている。外観や内部は手直しされているが、ほぼ当時のままのようだ。駅の壁と、裏手に新しく作られたホームには「上砂川」の駅名だけでなく、ドラマで使われた「悲別」の駅名表示もされている。また、郵便荷物車と車掌車も置かれていて、ここを列車が通っていたということを伝えている。

 周辺に数多く建てられていた炭鉱施設や専用線は、閉山後も一部は残っていたが、上砂川支線廃止後に行われた周辺整備ですっかり消え失せてしまった。ただ、中央竪坑の跡は無重力実験施設として再利用されていたため、現在でもよい状態で残っている。


2000.7