士幌線 - 廃線跡Report

はじめに

【区 間】
 帯広 - 十勝三股
【主な駅】
 帯広、音更、士幌、上士幌、糠平、幌加、十勝三股
【沿 革】
 1925.12.10 帯広 - 士幌
 1926.07.10 士幌 - 上士幌
 1935.11.26 上士幌 - 清水谷
 1937.09.26 清水谷 - 糠平
 1939.11.18 糠平 - 十勝三股
 1955.08.01 清水谷 - 幌加ルート変更
 1978.12.25 糠平 - 十勝三股代行バス化
 1988.03.22 全線廃止

 当初の建設目的は、農産物などの輸送が主だったようで、まず開通したのは帯広から士幌、翌年には上士幌までとなった。また、同時に上士幌以北も予定路線として制定されたため、順次延長された結果、最終的には十勝三股までの路線になった。これは、森林資源の開発とダム建設が目的だったが、予定ではさらに石北本線の上川に接続することになっていた。
 しかし、ダム建設が一段落し、一時は隆盛を誇った林業が衰退し始めると沿線住民も減少、延伸どころか、最も利用者の少なかった糠平〜十勝三股では全国で初めてバスによる代行輸送が開始された。その後も、利用者の減少には歯止めがかからず、ついには全線廃止となった。

現況

 駅舎などが保存されている士幌をはじめ、そのほかも駅跡が資料館や公園となっていて、その存在を確認することができるが、平野部における線路跡はほぼ消滅している。
 一方で山間部においては、三ノ沢橋梁や第五音更川橋梁などの有名なコンクリートアーチ橋、トンネルなど多くの構造物が残っている。この橋梁群については撤去の方向で進んでいたが、有志の保存運動が実って、一部が国の登録有形文化財に指定され、今後も残されることが決まった。また、ダム建設前の旧線についてもいくつかの橋梁を確認することができる。
 糠平駅跡に建てられた上士幌町鉄道資料館には士幌線の資料が充実しており、運転台からのビデオでは現役当時の様子を違った視点から知ることができる。

解説

【帯広】(おびひろ:この地に流れる川のアイヌ語名と広大さを込めて「広」の字をあわせたもの)
 根室本線の駅だが最近の再開発で高架駅に変わり、位置も若干ずれたようだ。駅前広場に埋められたレールが以前の駅の場所を示しているのだろう。かつては士幌線だけでなく広尾線も分岐していたが、それらの痕跡は何もない。

 しばらくの間根室本線と並行していたが、帯広と西帯広の間が高架化されたことから様子が一変しており、その辺りの痕跡を探すことは難しい。その先も、道路などの様子から判断できるくらいで、十勝川に架かっていた橋梁も完全に撤去され、その前後の線路跡もまったくわからなくなっている。ただ、木野の手前からは築堤が確認でき、標識なども残っている。

【木野】(きの:木野甚太郎が所有していた農場内に設立されたため名付けられた)
 築堤に続く駐車場として使われている付近が駅跡のようだが、それとわかるものはない。

【音更(おとふけ)】(おとふけ:アイヌ語の「オトプケ」(頭髪の所)に由来するというが明らかではない)
 駅の施設などはまったくないが、付近は交通公園として整備され、SLなどが展示されている。通常は車両をただ展示するだけであるが、ここは一部中の構造を見ることができるようになっている点がおもしろい。

【中士幌】(なかしほろ:士幌川の中流にあることから)
 パークゴルフ場になっており、その存在を確認できるものはない。

【士幌】(しほろ:付近を流れる川についてのアイヌ語が変化したもの)
 町の史跡に指定され、記念公園として駅舎や2つのホームなどが構内跡の貨車などの車両とともに保存されている。定期的に整備されているようで、展示車両に覆いが付けられるなど、全体的に状態はいいようだ。レールもそのままになっていて、腕木式信号機も残るが、行く手には草や木が茂っており、すでに列車が通らなくなって久しいことを物語っている。

【上士幌】(かみしほろ:士幌川の上流にあるためにその名がついた)
 駅構内跡は交通公園として整備されているが、士幌線の説明などは見当たらず、2両の客車が放置されているだけ。予備知識がなければ、ここに駅があったことは全く分からないだろう。

【清水谷】(しみずだに:近くの谷間に清水の湧く所があったが、夕張線の清水沢と区別して清水谷にした)
 構内跡は空き地になっていて遺構はまったくないが、駅前の商店跡、道路標識によって、それと知ることができる。

【黒石平】(くろいしだいら:)
 道路よりも一段下がったところにあったが、道路とのつながりから駅の存在知ることができる程度。
 この駅は急勾配の途中にあったため、下り列車しか停まらず、上りは隣の電力所前にしか停まらなかった。しかし、電力所前は仮乗降場であったため、全国版の時刻表には上下とも黒石平に停まるように記載されていたというのは有名な話だ。


 このあたりから幌加にかけてはダム建設による水没のため、1953年にルート変更になっている。新線は糠平湖に沿うように切り替わっているが、新線だけでなく旧線についても多くのコンクリートアーチ橋を確認することができる。
 代表的なものは第三音更川橋梁で、登録有形文化財にも指定されており、他の橋梁と比べても大きいアーチが特徴となっている。

 さらに先には国道の跨線橋を挟んで連なる封鎖された第四糠平トンネル、第五糠平トンネルが残っており、国道からは確認できないが、この前後のトンネルも現存している。跨線橋を挟んで連続しているのが確認できる。その他、国道の一段高いところを通るいくつかの陸橋や、鉄橋の不二川橋梁も残っていた。

 また、切り替え前の旧線の橋梁としては第二音更川陸橋、それに続いて第四音更川橋梁があり、ここは前後がコンクリートアーチ、中間が鉄の桁という形だったが、鉄橋部分は撤去されて、両端のみが残っている。

【糠平】(ぬかびら:「人の姿の崖」の意のアイヌ語「ノカ・ビラ」から)
 駅跡には糠平町によって鉄道記念館(9:00〜16:00 月祝休 100円)が作られ、士幌線の資料が展示されている。裏の広い構内跡は草原となっているが、黒石平方には腕木式信号機がぽつんと残されている。
 なお、ルート変更前の駅は糠平湖の底になっている。

 糠平からは糠平湖の西岸に沿って進み、いくつかのコンクリートアーチ橋を渡っていたが、糠平川橋梁、三ノ沢橋梁はともに残っている。橋のたもとまで近付くことができるが、そこには枕木が、埋もれかけながらも顔をのぞかせていた。
 この区間には橋梁だけでなく、永久凍土のために工事が難航したという音更トンネルも残っており、金網で封鎖されているだけのため、中を覗くことができる。手前側には枕木とさらに奥には布設されたままのレールがそのままになっているが、出口の明かりは見えず、闇の中へと吸い込まれていくようだ。

 幌加の手前で旧線と合流するが、それよりも南方の糠平湖上にはタウシュベツ川橋梁が残っている。しかし、ほとんどは水面下に沈んでおり、冬から春にかけての水量が少ない時にだけその全容があらわになるそうだ。確認した時も、上端がかろうじて水面にのぞかせている状態だった。そのようなことから傷みも激しいようで、このまま朽ちていってしまうのだろう。

【幌加】(ほろか:後戻りする川を意味するアイヌ語の「ホルカ・ナイ」の頭をとったもの)
 現在除雪ステーションが建っている付近が駅跡で、ホームやレールなどが草薮の中に残っている。駅舎はすでに撤去されている。かつては木材の搬出で賑わったというが、付近に住宅などは見当たらず、容易には信じ難い雰囲気だ。

 幌加を過ぎてすぐ、国道の滝ノ沢橋のすぐ脇には第五音更川橋梁が残り、橋の上から連続するアーチを見ることができる。その後にも第六音更川橋梁や十三の沢橋梁などのアーチ橋も現存している。

【十勝三股】(とかちみつまた:三つの川の合流点だったため三股となり、同名の駅があったため頭に十勝をつけた)
 士幌線の終着駅だったが、駅跡には何もなく、前後の線路跡は散策路として東屋と遊歩道が整備されている。廃止に先立って代行バス化になっていたためか、その痕跡は国道沿いにあるバス待合所に残すのみだ。バス待合所周辺には「士幌線代替バス」の文字が残る車庫があったはずだが、それは撤去されてしまっている。かつては林業で栄えた街だが、今も残っている人はごくわずかだ。

 予定では上川まで延長されるはずで、実際、これより先に残る切り通しが上川まで到達せんとしているようだが、それも数百メートルの間に過ぎず、鉄路が三国峠を越えることはついになかった。


2000.9