渚滑線 - 廃線跡Report

はじめに

【区 間】

 渚滑 - 北見滝ノ上(34.3km)
【主な駅】
 渚滑、濁川、北見滝ノ上
【沿 革】
 1923.11.05 渚滑 - 北見滝ノ上開通
 1978.02.01 貨物取扱廃止
 1985.04.01 全線廃止

 沿線の森林資源開発を目的として、すでに開業していた名寄本線の渚滑駅を起点として、内陸の北見滝ノ上まで建設されたもの。予定では、さらに石北本線の上川 と結ぶことも明記されていた。
 しかし、途中駅の濁川からの森林軌道も1959年には廃止となり、貨物の利用も減少。貨物の取扱いが廃止となった後も、利用客は減少の一途をたどり、ついに全面廃止となった。なお、接続していた名寄本線もJR発足後の1989年に廃止になっている。

現況

 紋別市と滝上町を結ぶだけの34.3kmという短い路線であったので途中駅も少ないが、いくつかの駅舎が現存しているほか、何らかの形で駅跡が残っているところが多い。特に終点の北見滝ノ上は鉄道記念館として利用されており、渚滑線の歴史を知ることができる。そのほか、橋梁跡は橋桁はすでに撤去されてないが、橋台が残っているところがいくつかある。なお、近くの渚滑川の鉄橋は、町の手により「虹の橋」として生まれ変わった。

解説

【渚滑】(しょこつ:渚滑川に滝がたくさんあり、その滝つぼを意味するアイヌ語よりついた)
 名寄本線の駅であったが、その名寄本線も廃止となってしまった。しばらくはバスの待合所として使われていた駅舎は解体され、その跡地には高齢者施設が建てられていた。すぐ脇の広場にある休憩所は駅舎を模して作られたようで、「渚滑駅」の看板が掲げられている。その他、国道の信号機には「渚滑駅前」の案内表示が残っていて、付近にわずかながら駅前の雰囲気が感じられる。

【下渚滑】(しもしょこつ:渚滑川の下流にあるためについた駅名)
 駅舎などはすでにない。前後の路盤跡も消滅している。

【中渚滑】(なかしょこつ:渚滑川の中流にあるためについた駅名)
 農地となり、特に残っているものはないようだ。

 路盤跡ははっきりしないが、橋台はいくつか残っており、並行する国道からも見ることができる。そのうちの一つは広告板の土台として使用されているが、この再利用は喜んでいいものかどうか。すぐ脇で工事が行われているものもあり、近いうちに撤去されてしまう可能性もある。

【上渚滑】(かみしょこつ:渚滑川の上流にあるためについた駅名)
 駅跡には町民センターが建つ。駅名表示板などは交通公園に移され、模擬ホーム横のレール上には軌道自転車が置かれていた。町民センター横には渚滑線の資料館も設けられている。
 渚滑線は森林資源の利用のために建設され、事実この辺りも以前は林業が盛んだった。すぐ近くの木材工場は現在も操業中だ。

 路盤跡は畑などにまぎれてしまっているところもあり、部分的にしか確認できない。林の中の橋台とその前後の路盤跡ははっきりとしている。また、小さな橋台が原っぱの中にぽつりと残っていた。

【滝ノ下】(たきのした:渚滑川に多い滝の下流にあるためについた)
 こじんまりとした駅舎が残る。一見すると物置きか何かのようだが、壁には「滝ノ下駅」の文字が薄く残っており、また、一面のホームも そこが駅であったことを示している。構内跡は畑となってしまった。

 途中、並行する国道と位置が逆転していたが、その辺りの路盤跡ははっきりせず、踏切跡らしきものもない。濁川近くの路盤跡は畑などでかき消されながら部分的に残っている。

【濁川】(にごりかわ:アイヌ語の「オ・ヌプキ・オ・プ」が川口に濁り水のある所という意味であることから)
 駅舎は一帯に造成されたパークゴルフ場の施設として再利用されている。ホームも残っているが、ホーム上と構内跡は芝生が張られており、何か不思議な雰囲気だ。駅前の雰囲気も、駅前旅館が営業中でもあり、当時と変わらないたたずまいのようだ。
 かつてはここから森林軌道が川沿いに奥地に向かっていたようだが、早くに廃止になっており、その痕跡を追うのは難しい。

 その後路盤跡ははっきりしなくなり、途中に新しい道の駅が作られている。さらに先、北見滝ノ上手前の渚滑川にあった鉄橋は、町の手により「虹の橋」に生まれ変わった。これは、渚滑線の遺構を残したいという思いから、ふるさと創世資金を利用して作ったものだそうで、全国的にも珍しい二階建ての橋だ。

【北見滝ノ上】(きたみたきのうえ:滝の上流にあったが、すでに同名の駅があるため、滝ノ上の頭に北見をつけた)
 駅舎は移転保存され、中は渚滑線関連の資料館として、さまざまなものが展示されている。脇には腕木式信号機も移設され、信号を操作することができるようになっている。裏に敷かれたレール上には小さな機関車が置かれている。

 ここが渚滑線の終点だが、予定ではこの先さらに延長され、上川まで延長されるはずだった。しかし、予定線のままで開業部分も廃止になってしまった。ただ、上川と北見滝ノ上の間には大きな街はなく、開業しても、それほど遅くない時期に廃止になっていたのかもしれない。

2000.5