函館本線旧線(神居古潭) - 廃線跡Report

はじめに

【区 間】

 納内 - 神居古潭 - 近文
【主な駅】
 納内 神居古潭 伊納 近文
【沿 革】
 1898.07.16 空知太(滝川) - 旭川開通(上川線)
 1901    神居古潭簡易停車場開業
 1903    神居古潭駅に昇格
 1906.10.25 北海道炭礦鉄道を国有化
 1909    函館 - 旭川を函館本線に改称
 1911.01.11 近文駅開業
 1969.10.01 小樽 - 旭川複線電化
        納内 - 近文新線切替えにより廃止

 函館本線の滝川から旭川までの区間は、1898年に開通した官設鉄道上川線の一部で、当時すでに手宮から空知太(滝川)まで伸びていた北海道炭礦鉄道に延伸する形で建設されたもの。そして納内から近文までのこの部分も、その時に作られた。
 1896年から工事が始まったが、石狩川の断崖絶壁に沿った路線のため、トンネルが多く工事は順調には進まなかった。この部分の工事は土工費の半分以上を費やしたほどだ。また、請け負う建設業者がなかなか確保できず、物価の高騰などから、確保できても完成させられないということもあったようだ。
 この開通は、旭川を起点に線路が北や東へと延び、旭川が鉄道の拠点として発展していく契機にもなる。1903年に天塩線(現在の宗谷本線)が名寄まで、 1923年にはルベシベ線(石北本線)がルベシベ(上川)まで開通している。また、1906、1907年には北海道炭礦鉄道と、小樽〜函館で営業していた北海道鉄道が相次いで国有化となり、この頃にはほぼ函館本線の基礎ができあがっていた。
 しかし、函館本線の重要度が増すにつれ、単線でカーブが多いこの区間は輸送上のネッkとなっていた。また、輸送力増強と近代化のために電化工事も急がれていたが、断崖を切り開いて作っていたために、これ以上の改良工事は難しかった。そのため、現在のルートが新線として採用され、それと同時に旧線は神居古潭駅と共に廃止となった。

現況

 廃止後は、そのほとんどが旭川市サイクリングロードとなり、市民に親しまれてきた。特にかつては乗客を楽しませた渓谷美はすばらしいものがあるが、廃止から30年近くかが経過し、施設の傷みも激しいことから、伊能付近から深川方面にかけて通行止めとなっている。
 ただ、神居古潭駅跡付近は対岸からかかる吊り橋を渡って立ち入ることができ、休憩所として復元された神居古潭駅舎や9600型などの3両のSLを見ることができる。2面のホームもそのままになっているが、こちらも傷みが激しく、既に一部が崩れてしまっていた。ホーム上には駅名表示板と名所案内板が現役当時と同じように建てられている。なお、神居古潭駅舎は旭川市の指定文化財だ。
 それ以外にも、移設された伊納駅の前には旧線に使われたホームがそのままになっている他、トンネルや橋梁といったものも当時のままだ。ただ納内駅は駅舎が最近公共施設と共用という形に建て替えられており、当時からのものではない。





解説


編集中

1998.8