湧網線 - 廃線跡Report

はじめに

【区 間】

 中湧別 - 網走(89.8km)
【主な駅】
 中湧別 芭露 計呂地 佐呂間 常呂 能取 卯原内 網走
【沿 革】
 1935.10.10 卯原内 - 網走開通[湧網東線]
 1935.10.20 中湧別 - 計呂地開通[湧網西線]
 1936.10.10 常呂 - 卯原内開通 [湧網東線]
 1936.10.17 計呂地 - 中佐呂間開通[湧網西線]
 1952.12.07 下佐呂間 - 常呂開通[湧網東線]
 1953.10.22 下佐呂間 - 中佐呂間開通、湧網線に改称
 1987.03.20 廃止

 湧網線は、オホーツク海沿岸の開発を目的として、まず網走と中湧別からそれぞれ湧網東線、湧網西線として開通したのが始まり。改正鉄道敷設法にも「北見国中湧別ヨリ常呂ヲ経テ網走ニ至ル鉄道」として予定線に掲げられていたが、緊縮財政のために延期されるなどして、実際に着工したのは1933年。網走と中湧別からそれぞれ部分開業となり、開業翌年には中佐呂間 - 常呂間の約30kmを残すのみとなった。しかし、今度は戦争により建設が中断し、地域住民から待望された全線開通は先延ばしとなった。
 残り区間の工事は1952年になってようやく再開され、まず下佐呂間・常呂間が開通。次いで最後に残った中佐呂間と下佐呂間が結ばれて、念願の全通を果たし、名前も湧網線と改められた。最初の開通からは20年近くが経過していた。
 ただ、全線開通となったものの沿線人口は少なく、自動車の普及等もあって、収支は順調とはいえず、国鉄再建の流れの中で第二次廃止対象路線とされた。オホーツク海沿岸の路線である天北線の一部、興浜線(興浜北線・興浜南線と未開業区間)、名寄本線の一部をあわせてオホーツク海縦貫線とする構想も提案されたが、実現されることなく他の線区と同様にバスに転換された。

現況

 駅舎が保存されるなど、その遺構は比較的多く残されている。計呂地はその代表格で、駅舎とホームだけでなく、SL・C58と客車が保存され、宿泊施設として使われている。また、名寄本線の駅でもあった中湧別もホームと跨線橋が保存され、往時の雰囲気を保っている。その他にも駅舎などの施設や車両などが残されているところがいくつかあり、また、跡地に鉄道記念館が建てられたところもある。
 線路跡は中湧別周辺では道路の整備などで消えてしまった部分もあるが、網走市郊外から常呂までの間はサイクリングロードとして整備され、その跡をたどっていくことができる。

解説

【中湧別】(なかゆうべつ:)
名寄本線・湧別支線、湧網線が分岐する重要な駅であったが、その名寄本線も湧網線に遅れること2年後の1989年に廃止となり、それと同時に中湧別駅自体も廃止になっている。駅跡には道の駅が建ち、駅舎も撤去されているが、ホームと跨線橋は当時のままとなっており、車掌車などとともに鉄道資料館として利用されている。そのホームの天井には、駅名表示板と時計が当時のままの状態で残されている。

 中湧別から湧別方向の線路跡は広い道路となっており、湧網線と名寄本線が分岐していた場所もはっきりしない。その先、国道と交差する辺りからは築堤やコンクリート橋などが確認できる。

【芭露】(ばろう:)
駅舎をはじめとして、ホームなどの施設が保存されている。地元住民によって、きちんと管理されているようで、荒れたところはなく、状態はかなりよい。駅名表示板も現役の駅のようだ。

【計呂地】(けろち:)
ここも芭露と同じように駅舎やホームなどの施設がきれいに保存されている。また、それだけでなく、さらに「C58 139」と客車2両も構内に展示してある。ここでは客車と駅長の家が宿泊施設として開放され、数百円という安い金額で泊まることができる。構内跡のレールも腕木式信号機とともに残され、当時の雰囲気が伝わってくる。

【佐呂間】(さろま:)
駅舎はすでに解体撤去されており、当時からの建物は残っていない。ただ、跡地にはかつての駅舎を模して建てられた建物が鉄道記念館として利用されており、内部には湧網線にゆかりのある資料が多数並んでいる。また屋外にはSLやDLをはじめとした車両や信号機といった施設が展示されている。一部の車両には屋根がかけられるなどして、比較的よい状態で保存されている。

 常呂からの線路跡はサイクリングロードとして整備され、途中、能取湖沿いを走るなど、湧網線の跡をそのままにたどっていくことができる。ただ、そのために、遺構を見つけることは難しく、いくつかあった仮乗降場の跡はまったくわからない。

【卯原内】(うばらない:)
駅舎はないが、その跡にバス待合所を兼ねる交通記念館が建てられている。中には湧網線の資料があり、屋外でも、線路上にSL・9600形などが展示されている。

【網走】(あばしり:)
石北本線の駅として現役だが、湧網線の列車が発着していたホームは今は使われていない。レールもすでに撤去されている。

1998.8
2009.8