鴻紋軌道 |  廃線跡Report

はじめに

【区 間】
 紋別 - 元山(鴻之舞)(28km)
【主な駅】
 紋別、元紋別、末広、住吉、元山
【沿 革】
 1943 開通
 1942 休止(休山のため)
 1948?再開(鉱山復旧工事のため)
 1949 廃止

 鴻紋軌道は、名前の通り、オホーツク海に面する紋別市とその遠軽よりのはずれにある鴻之舞鉱山を結んだ鉄道である。
 鴻之舞鉱山は、東洋一の金山と呼ばれた程であったが、周辺の町から孤立した山の中にあった。当時は道路も整備されておらず、採掘された鉱石の運搬などに不便をきたしていたために1940年に建設が開始された。
 開通したのは1942年。しかし、戦争の激化によりその年に金山整備令が出され、休山の対象となった。そのため、鴻紋軌道は鉱山設備の転用資材を運ぶ役目を負わされることになり、それが終わると同時に休止となってしまう。
 戦後まもなくして、鉱山再開のための建設資材を運ぶために運行が再開されたものの、道路の整備がすすんだこともあり、間もなく廃止されてしまった。

現況

 廃止後50年、鉱山が閉山してからも20年が経っているため、その跡のかなりの部分が消滅している。
 紋別市内については、その跡は市道となっていて「軌道跡線」という名前がつけられている。その先の元紋別付近には比較的長く道床跡が残っているが、それ以外は途中にあったいくつかの橋の跡くらいしかない。比較的最近撤去されたところもある。
 また、鴻之舞付近では大きな鉄橋とその前後の道床跡を見ることができる他、鴻紋軌道跡以外にも、トロッコ軌道の跡を始めとする鴻之舞鉱山のかつての繁栄ぶりを伺える遺構がいくつも残っている。

解説

[紋別市街]
 かつての名寄本線紋別駅すぐ近くに駅があったようだが、詳しくは資料がないためにわからない。廃止後50年も経っているので、痕跡を見つけることも難しい。線路跡は中心部から郊外の南が丘に向かう市道になっていて、「軌道跡線」と名付けられている。道路は南が丘で突き当たるが、その先南東方向は草地となって残っている。さらに奥は深い薮となり、わずかな木々の隙間がそれとわかるのみ。かき分けて入っていこうとしたが、あまりの深さに断念した。

[元紋別]
 ゴルフ場付近の道路を横切るあたりでは北西方向には、木が並んで生えているため、路盤跡を確認することができる。一方の南東方向では砂利道や草道としてしばらく先まで残っている。
 途中路盤跡は道路から離れるが、藻鼈川の支流を渡るあたりではまた近づいてきてほぼ並行に通っている。ただし、その脇には橋台が両側とも残っている。前後の線路跡ははっきりしない。

[藻別]
 藻別付近では橋台とその先に橋台と橋桁があった。かなり薮を漕いでいかないと見えない。そして、それに続く道路は道床跡らしく、橋桁とまっすぐに続いて農家の敷地を突き抜けている。

[上藻別]
 上藻別付近ではかなり変色している橋脚。川のまん中に堂々と建っていて、かなり長い橋だったことがわかる。前後の橋台も残っている。橋台のすぐ下から、1本の木が、視線を遮るように伸びていた。

[鴻之舞]
 鴻之舞に入る手前にも、橋脚が小さな川に2本残る。さらに鴻之舞に近付くと、道路を渡る鉄橋が残る。現在は沈澱池へ中和剤を送っている送水管が通っている。鉄橋の先は、山すそに沿って元山坑のふもとあたりまで続いていた。沈澱池の脇の砂利道がそれだ。


 鴻之舞の街は、鉱山が閉山し、人が住まなくなってしまった今、廃墟と化している。ただ、最近、撤去作業がすすんでいるようで、更地部分も多くなった。ところどころに、元住民らによる跡地の看板が建っているが、それらを見ても、かつては巨大な街だったことをうかがうことができる。


1998.10