はじめに
【区 間】〔未開業:芦別 - 納内〕(30.2km)
【主な駅】
芦別 〔石狩常磐 石狩新城 石狩豊里 新神居古潭〕 納内
【沿 革】
1952.07 建設予定線に編入
1957.04 建設線に昇格
1964.11 着工(芦別 - 石狩新城)
1980.04 建設凍結
根室本線の芦別駅と函館本線の納内駅を結ぶ路線として計画されていた未開業路線。北海道の中でも空知地方は特に炭鉱が盛んで、芦別でも多くの炭坑がひらかれており、その芦別で産出された石炭をより効率的に運び出すことを目的として計画された。戦前から地元より請願が出されていたが、1953年に鉄道敷設法の別表に記載されたものの、実際に建設が始められたのは1964年になってからだった。着工は鉄道建設公団により行われ、それから4年ほどで、国道と空知川を大きく跨ぐ全長260メートルの空知川橋梁を始めとして、芦別駅から石狩新城駅が置かれる予定の芦別市新城町までの路盤工事がほぼ完了した。
しかし、ちょうどその頃には、資源枯渇や石炭から石油へのエネルギー転換という全国的な流れの中で芦別の炭坑の閉山が始まっていた。また、一方で国鉄再建問題が顕在化しており、1980年には国鉄再建法が公布。それに先がけ、芦別線を含め開業しても不採算と見込まれる線区について、その建設が中断された。
現況
国道と空知川を跨いでいた空知川橋梁は建設凍結後もしばらくは残っていたとのことだが、現在は撤去されており、芦別側の橋台と、根室本線との分岐点からそこにつながる築堤のみが残っている。その先の道道に沿っている築堤は断片的に崩されているものの道路からも比較的容易に確認することができ、新城の集落を過ぎたあたりまで続いている。ただ、橋梁などはほとんど残っておらず、確認できているのは先の空知川橋梁の橋台と、芦別市常磐町付近にあるコンクリート架道橋くらいのものだ。新城付近まで芦別線とほぼ平行しているパンケ幌内川やその支流などにいくつかあったはずの橋梁も確認できていない。また、道道との交差部分にあったはずの跨線橋もすでに跡形もない。駅予定地は不明確なところが多いが、芦別市新城の中心部には築堤からつながるやや広くなっている部分が石狩新城駅予定地のようだ。
解説
編集中
1998.9