はじめに
【区 間】苫小牧 - 分岐点 - 湖畔
分岐点 - 発電所
【主な駅】
苫小牧 湖畔 水溜 第四発電所
【沿 革】
1905.04 発電所建設許可が出る
1907.05 発電所建設開始
1908.08 運転開始
1922.04 一般客の便乗が許可
1951.08 全線廃止
王子製紙が苫小牧に製紙工場を建設するにあたり、必要な電力を確保するために千歳川上流に発電所を建設する必要があった。この王子製紙苫小牧工場専用鉄道(通称山線)は発電所建設のための資材や工事関係者の輸送を目的に計画されたものである。
当初は馬力を動力としていたが、馬力では重量物の輸送は当然難しく、輸送効率の面で対応しきれなくなってきた事から、SLによる専用鉄道に改める事にし、当時の逓信省(現在の国土交通省)から許可を得ている。専用鉄道の正式な開通は1908年8月12日。それ以後、1910年9月に発電所が完成するまで、建設資材などの輸送に活躍した。また、それ以後も第二発電所、第三発電所といった発電所の建設が続き、さらに、製紙材料である原木の輸送も開始されるなど、王子製紙にとって重要な役割を果たし続けた。
また、1936年に一般乗客の便乗が許可されると観光の面でも注目を浴びるようになり、支笏湖への観光客の乗車も増え続けた。特筆すべきなのは、貴賓車が用意されていた事で、来賓があった際には、随時貴賓車を増結して湖畔にある王子製紙湖畔クラブへ運ぶために使われていた。
戦後、自動車が普及し始め、各地に自動車道路が建設されるようになると、苫小牧・支笏湖間にも同様に道路の計画され、1950年8月には完成している。そしてバスの通行も開始となったが、専用鉄道と比べると時間も大幅に短縮される事から、鉄道の存在意義が薄れていき、わずか1年後の1951年8月には惜しまれつつ全線廃止となった。
現況
廃止後、すでに50年以上が経ち、その痕跡はほとんど失われている。線路跡はサイクリングロードとして整備されているため、舗装されてしまっているが、忠実になぞっているわけではないので、一部の路盤跡はそのままに放置されている。駅跡にも残っているものはまったくないが、平行道路を通るバス停留所の名前が、「六哩」、「十哩」などのように駅名がそのまま使われているところもあるので、大まかな場所を知ることができる。大きな遺構として、1つはかつてこの専用線の上を走ったSLと要人を運ぶ時に使った貴賓車が王子製紙苫小牧工場近くに保存されている。これは専用線を走っていたSLでは唯一残ったもので、廃止後東京の紙の博物館で保存されていたものが住民運動によって「里帰り」し、現在に至っている。
また、もう1つは支笏湖畔に架かるトラス鉄橋。道内最古の鉄橋としても知られるこの橋は、1899年に現在のJR函館本線に架けられ、1924年に支笏湖畔の現在の場所に移設された。かつてこの上をSLが走っていた鉄橋は、役割が変わり観光客が渡る「山線鉄橋」となったが、80年の長きにわたって変わらず支笏湖の美しさを見つめ続けている。
解説
編集中
2001.10