はじめに
【区 間】南小樽 - 手宮
【主な駅】
南小樽、色内、手宮
【沿 革】
1880.11.28 手宮 - 南小樽 - 札幌開通[官営幌内鉄道]
1889.12.11 北海道炭礦鉄道に譲渡[北海道炭礦鉄道]
1906.10.01 国有化
1907.07.01 旅客廃止(1912 旅客再開)
1909.10.12 手宮線に改称(手宮 - 南小樽)[手宮線]
1911.10.02 高架桟橋完成
1943.10.01 旅客廃止(1948 旅客再開)
1962.05.15 旅客廃止
1985.11.05 廃止
北海道で最初、全国でも3番目という由緒ある官営幌内鉄道がその前身。幌内からの石炭を小樽港まで運ぶことを目的に建設され、開業時は札幌まで、2年後には幌内まで全通した。
北海道炭礦鉄道に払い下げられた後、再び国有となり、廃止時の手宮線の形になったのは1909年。函館本線の支線という位置づけだが、翌年には複線化、さらに高架桟橋が完成するなど手宮線の重要度はそれほど変わらず、それは浜小樽が開業するまで続いた。以後、貨物の扱いは激減し、単線に戻された。
開業から旅客廃止と再開をくり返し、複線化後に単線になるなど、さまざまな変遷を経てきた手宮線も1962年に貨物専用線となり、ついには全線廃止。100年を超える歴史を終えた。
現況
小樽の市街地を横断する路線だったが、廃止から15年がたった現在でも、多くの線路が残っている。手宮線の復活を願っての事のようだが、なかなか有効な利用策が見つからず、放置されているという印象が強い。また、手宮駅構内には旧来から北海道鉄道記念館が開設されていたが、老朽化のために近年壊され、新たに小樽交通記念館として生まれ変わった。ここでは、手宮線を始めとする北海道の鉄道の歴史などを知ることができるほか、屋外には様々な車両が展示され、構内を走るSLアイアンホース号に乗ることもできる。
解説
【南小樽】(みなみおたる:当初は開運町(→住吉→小樽)。様々な変遷があり、小樽の南側にあることからついた)函館本線の駅として現役。構内の 手宮線のレールはすでに撤去されているが、そのスペースはそのままになっている。この駅は陸橋のすぐたもとにあり、不思議なことに、駅舎が線路に垂直に建っている。
南小樽を出た後はしばらく函館本線と並行していたが、構内では撤去されていたレールが、すぐ先からは 残っており、その先、2本の道路を渡る 陸橋の上もレールと枕木がそのままになっている。踏み板もあるので、歩いて渡れそうだ。
この 陸橋を下から見ると、3線分の橋脚はレンガ積みだが、 函館本線側のそれは、1本のみコンクリートでかさ上げされている。現在函館本線は複線だが、かつては函館本線は単線で、手宮線が複線だったためなのだろうか。
なお、函館本線の南小樽(当時の小樽)と函館の間は、北海道鉄道の手により、1904年に開業している。
その後跨線橋をくぐる辺りから、函館本線は 高架となって 離れていく。手宮線はその脇をかすめるように通り抜けている。寿司屋横町を横切る鉄橋は橋桁は撤去されたが、広い橋台は 南小樽側、 手宮側ともに残っている。手宮線と北海道の歴史を刻んでいるだけありレンガ造りの橋台には風格が感じられる。その先の 築堤上には枕木が積まれていた。
いくつかある踏切のほとんどはそのままになっている。すぐ先の 小さな踏切はもちろんだが、大きな道路でもレールや警報器は 撤去されていない。それと知らなければ一時停止してしまいそうだ。数年前にはあった停止の必要のないことを示す案内板はなくなっている。
【色内】(いろない:)
アスファルトが敷かれ駐車場として使われているが、色内交番がある辺りはまぎれもなく ホームの跡。しかし、貨物線化に伴う1962年には廃止となっているため駅舎などその他の遺構は見られない。開設は1912年で、戦中に休止、その後復活していた。
この付近は北海道のウォール街と呼ばれたところで、銀行が建ち並び、現在でも日本銀行小樽支店を始めとして、歴史的建造物として保存されている。
しばらく先の 中央通の踏切も残っているが、現在小樽市により拡幅作業がすすめられており、近いうちに撤去されてしまう可能性もある。手宮線とは直接関係ないが、この工事により、歴史的建造物のいくつかが解体を余儀なくされた。景観保存をすすめている市によるものだけに、残念でならない。
しばらく続いてきたレールも、小樽運河から国道5号線に続くこの通りで 途切れてしまう。両側の遮断機などは残っているが、かなり交通量もあり、もうここを列車が通ることはなさそうだ。脇には外したものと思われるレールが置かれていた。その先の 水路を渡る部分にはその遺構がある。
消防署の裏あたりが旧手宮駅のようだがはっきりしない。ただ、この付近だけは並行する道路との間に古い建物がなく、パチンコ店と立体駐車場があるのみ。付近には標識が一つだけ風雨にさらされ錆びきっていた。
手宮駅の位置は何度か移動していたようだ。はっきりした年はわからないが、旅客廃止と復活をくり返しているので、その中で移ったものなのだろう。廃止時の貨物駅はここではなく、さらに先のようだ。
手宮に近付くにつれ、両側の建物との距離が広がっていき、いよいよ ターミナルの雰囲気になってくる。実際、 ポイントも残り、線路がいくつにも分岐している。途中の 小さな踏切の案内は錆びているが、よく見ると おもしろいことが書いてある。すぐ正面には小樽交通記念館の ターンテーブルが見えるがそこには続いておらず、すぐ手前の道路の途中で切れてしまっている。
【手宮】(てみや:)
小樽交通記念館の 手宮口ゲート付近が駅跡にあたるが当時の建物ではない。ターンテーブルも構内を走るアメリカ製のSL「アイアンホース」用に新しく作られたもの。当時からのものは国内に残る最古の機関庫と 給水塔などくらいのようだ。
交通記念館には先の機関庫の他に、準天然記念物のSL「しづか号」と一等客車「い1号」が展示され、北海道の鉄道の歴史を様々な資料や模型で紹介。また屋外には30両以上の車両を展示・公開している。
交通記念館の先にある空き地も構内跡のようだが、目立ったものはない。
その高架桟橋は石炭の積み出しの効率化を目的に建設されたもので、手宮駅から手宮洞窟裏の山の中腹を伝ってこの辺りに達していた。レンガの擁壁などがその遺構だ。
1999.9