はじめに
【区 間】
美唄 - 南美唄(3.0km)
【主な駅】
美唄、南美唄
【沿 革】
1931.12.01 美唄 - 南美唄開通
1944.01.25 旅客扱い開始
1971.08.03 旅客扱い廃止
1973.09.09 全線廃止
通称南美唄線は、正式には函館本線の一支線の扱いで、南美唄にあった三井美唄炭鉱からの石炭を運搬することを目的に建設された。そのため当初は貨物専用線で、南美唄に設けられた駅も貨物駅だったが、その後、南美唄を旅客駅に昇格して旅客扱いも始まった。1958年にはディーゼル化もされている。
しかし、石炭産業の斜陽化で、三井鉱山が三井美唄炭鉱から撤退。その跡の一部を三美鉱業が引き継いで採炭を続けたため、運行は継続されたものの、輸送量は著しく減少した。そして、その三美鉱業も1973年3月で閉山。南美唄線の存在価値は低下し、その年の9月には必然的に廃止となった。
現況
廃止から30年近くが経過していることもあり、目立った痕跡はほとんどない。ただ、美唄市の郊外を通っていて、その後大規模な開発がされていないことから、短い距離の割には線路跡を辿ることは比較的簡単だ。また、三井美唄炭鉱によって町が形成された南美唄地区は、炭鉱が閉山して以後も多くの住民がおり、炭鉱事務所や鉱員住宅など貴重な建物も残っている。
解説
【美唄】(びばい:鳥貝の多い所を意味するアイヌ語「ピパ・オ・イ」が変化したもの)




線路跡に建てられた中学校を越えると、道路に並行して草薮が続いている。ここが線路跡のようだ。一部途切れながらも、それはさらに先まで続く。途中の道路との交差する地点でも踏切の跡などはない。
【南美唄】(みなみびばい:美唄の南方にあることから)



付近には当時からの建物などが数多く残っており、炭鉱町の雰囲気を今に伝えている。鉱員や職員の住宅群は現在でも多くの人が住んでおり、その意味でも貴重だ。また、炭鉱事務所だった建物や選炭場の施設も見ることができる。しかし、市街地近くにあった施設は、その跡地が自衛隊の敷地となっていて、痕跡はまったくないようだ。その手前の道路沿いには、三井美唄鉱山を記念する碑が建てられているが、当時は、ここが市街地と炭鉱区域の境界で、出入りする人を見張る番が目を光らせていたということだ。
1999.9