はじめに
【区 間】
芦別 - 頼城(9.1km)
【主な駅】
芦別、三井芦別、緑泉、頼城
【沿 革】
1940.11.25 下芦別(芦別) - 西芦別(三井芦別)[三井鉱山専用鉄道]
1945.12 三井芦別 - 頼城開通[三井鉱山専用鉄道]
1949.01.20 旅客営業開始
1960.10.01 三井芦別鉄道に譲渡
1972.05.31 旅客廃止
1989.03.26 全線廃止
三井鉱山が芦別鉱業所を開鉱し、そこからの石炭を輸送するために専用鉄道として作られたのが最初。最初は下芦別(芦別)と西芦別(三井芦別)の間で、後に二坑の開発にともない頼城まで延長された。地方鉄道として正式に旅客営業を開始したのは1949年(実際には専用鉄道時代にも旅客を扱っていた)。名称も三井鉱山鉄道となったが、1960年には三井鉱山の合理化により、三井鉱山本体から分離して三井芦別鉄道と変わった。
その後も石炭と旅客の輸送に活躍していたが、自動車の発達、炭鉱の閉山・合理化で人口が減少とともに利用が急減。まず旅客営業を廃止して石炭専用鉄道となり、全面廃止となったのは開業から約半世紀の1989年のことだった。
現況
全面廃止から10年ほどなので、比較的その跡は確認できる。大きなものとしては、炭山川を渡っていた鉄橋とその上に保存展示されているディーゼル機関車などが有名。なかなか粋なことをしてくれるもので、他にあまり例がないだろう。他の橋についてはすでに撤去され、橋台はいくつか残っているくらい。頼城の炭坑関連施設も全て撤去されている。沿線の街は俗に三井地区といわれ、三井芦別鉱とともに栄えたが、今では住宅もかなり少なくなっている。また、芦別森林鉄道跡が頼城あたりでも見ることができる。
解説
【芦別】(あしべつ:当初は下芦別。かん木の中を流れる川を意味する「ハシュ・ペッ」が変化したもの)




【三井芦別】(みついしべつ:)


ここは、炭坑が最初に開かれたところで、専用鉄道建設当時は終着であった。街はそのためにできたもので、住所は西芦別になるが、三井芦別という駅名がつけられたことがそれをあらわしている。現在は、炭坑施設のかわりの工場が稼働中で、かつての駅前通りもいまだその雰囲気が残っている。


【中丿丘】(なかのおか:)
ただの空き地になっている。駅を思わせるものはない。
駅周辺には小学校などもある街が形成されていたはずだが、それもすでに跡形もなく、市の処分場になってしまった。


【緑泉】(ろくせん:)

線路跡は道路に挟まれた緑地として続いていて、途中にあった2つの停留場の跡は全くない。頼城側の停留場付近からは築堤に替わり、緩い傾斜となる。その辺りからははっきりしていて、高低の違う築堤が並行し、それに続いて商店街の外れで橋台がそれぞれ対で残る。築堤の一部は畑に使われていた。
【頼城】(らいじょう:)

ここには、西芦別の一坑に対して二坑と呼ばれた炭坑があり、駅付近には選炭機などのかなり大きな炭坑施設があったはずだが、それも何も残っていない。駅前にあった郵便局も移転している。ただ、営業しているかどうかはわからなかったが、近くの理容室の建物はまだ残っていた。

1998.10